うつ病みの日々のあれこれ

うつ病みが日々のあれこれを綴ります

卒業記念植樹が伐られた

先日の台風で、桜の大樹の幹の1本が根元からもぎ取られた形で倒れていた。地上から出てすぐのところで三又に幹が分かれているうちの1本だ。

業者が来ていて、倒れた幹を処分するのかなと思っていたら、根元からバッサリ全伐採となってしまった。えー、残った2本の幹は温存するのかと思っていたのに。伐採した脇には卒業記念植樹昭和48年卒業のプレートがあった。ソメイヨシノの寿命は50年ほどとのことなので、このまま温存させてもいずれ弱ると判断されたのだろうか。

付近には何本も卒業記念植樹が植わっている。卒業式の日にはその桜の下で記念写真を撮ったりしていた。50年の間、卒業生を見送ってきた樹なのだが、あまりにあっけない最期だった。伐るにあたって当年度の卒業生に知らせたり、してないだろうなー。卒業生が母校に戻って来てみて、植えたはずの記念植樹が伐られていたらショックだろう。

昭和48年の卒業生の年齢は70代前半だろう。自身も年齢的に微妙な時期だし、卒業後同じ歳月を経てきた記念樹がもうないとなれば、精神的にひどく落胆すると思う。

私はその年の卒業生ではないけれど、毎日その樹の下を歩いていて、そして今日その存在が突然なくなったことに、どこか生活の一部分が抜け落ちてしまったようで、青空を渡る風が冷たかった。

 

以上。2022.09.21

順調に血糖値が下がっている

帰り道に代謝内科に通院。今日は血糖値に加えてヘモグロビンA1cの検査もある。1回目の採血では測定装置でエラーが出たので再度採血した。耳たぶに針を刺して採血するのだが、針を刺す痛みは今まで感じたことがない。2度採血したところで不愉快な思いはない。

さて、検査の結果、血糖値は正常範囲に収まり、ヘモグロビンA1cも先生の言う目標値7.0にずいぶん近づいた。体重をあと4kg落とすとだいぶ違いますよとのこと。うーん、毎日少なくとも3000歩、2.0kmは歩いているのだが、何か運動の習慣を身に付けなければならないのだろうか。

疲れる運動はやりたくない。スポーツはやっていて楽しいからするのであって、禁欲的に黙々と続けることは私には合わない。子供の頃はただ友達と走り回るだけでも楽しかった。何が楽しいのかわからないけれど疲れ果てるまで走り回っていた。そういう楽しさ、スポーツ一般にあるかなー。

同じ走るのでも競うのは勝ち負けが付いて劣等感感じるので嫌になったし、球技は飛んでくるボールが怖くて逃げてたし、水泳は耳に水が入る違和感が大嫌いだったし。体育の授業は全然楽しくなかった。

体育の授業で個々の生徒が「楽しい!」と思う瞬間を持てたら良かったのになー。跳び箱を跳んで着地がビシッと決まって「やったー!」と思ったり、鉄棒でぐるんぐるん回転して目が回りそうな浮遊感が病みつきになりそうだったり、そんな楽しさを体感できる授業だったら良かったのに。残念ながら体育の授業は苦行でしかなかった。

身体を動かして、その結果が「楽しい!」と思わせるような授業ではなかったので、私のような運動嫌いが量産されることになった。体育の授業は、そもそもの出発点が「体を鍛える」ことなので、そこに楽しさの要素は入っていない。発想が変わらなければ、体を鍛えられる子と運動嫌いな子の2つに分極してしまう。

高齢化社会がどんどん進展して行って、健康の大切さ運動の大切さが強調されているけれど、子供の頃に運動嫌いになった人が歳を重ねて進んで運動するようになるだろうか。これからの人も長寿になるだろうけれど、子供のうちに体を動かすことを「楽しい!」と思うような授業でなければ、後々の運動習慣は身につかないだろう。

競わせて、そしてカリキュラムをこなさせて、の体育の授業はもはや根底から変えないと、将来の増え続ける医療費負担を軽減することにはならないと思うけど。

働くのに向いてない

ソロキャンパーのヒロシが自身のことを「働くのに向いてない」と言っていた。あー、なるほど、そういうとらえ方もあるな、と思った。

スポーツに秀でているけれど学問はさっぱりな人、あるいはその逆とか、人それぞれ向き不向きがある。働くことについてもそう。一生懸命働いてそれで充足感を得られる人と疲労しか残らない人、前者は讃えられがちだが後者は非難される。だがそのような評価は、例えば作曲家に絵画を描かせて出来をうんぬんするのと同じことではなかろうか。

勤労は義務だから仕方ないとしても、その作業を行うにあったっての気持ちの持ち方は各個人で自由であるはずだ。つらい重労働を喜んでやるように仕向けるのは、北の国の思想改造であって、この国では許されないことだ。だが企業の新入社員研修などでは同様のことが当たり前に行われている。

例えば自衛隊体験入隊とか、業務には全く役に立たない研修プログラムがあったりする。自己啓発セミナーに出席させ労働奴隷へと洗脳する悪質な企業も存在する。

働くことなど、収入を得るために必要なだけであって、そのために心身を捧げてしまう必要などない。なので働くのに向いてない人は日本社会に蔓延している「労働教」という宗教から脱会すれば良い。

働くことは貴いことではない。上の立場の者がその労働で得た利益を坐したまま吸い上げる構造が出来上がっている社会なので、吸い上げられたくなければ人の下で働くべきではない。自身の才能を全て収入に変換できる自立した存在になるべき。

大きな企業に入ること、あるいは公務員になること、それが優秀な学生の目標となって、自ら進んでピラミッドのパーツの一つになるのが将来の社会のためであろうか。

意外と学生もそのことに気付き始めていて数年企業勤めをして独立する動きもちらほらある。仕事そのものの他に自身の価値観を重視して、狭苦しい都市部を脱出、さらには息苦しい日本社会から脱出、そんな動きもある。

生産性という尺度で人の働きを見ると、最も生産性の高い作業はマニュアル通りの単純作業の繰り返しである。だがそのような労働はいずれ機械なりAIなりに置き換え可能だ。そうなると人が働く場は、様々なことを考え試行錯誤して結果として良いものが得られるかどうかも不確実な点で非常に生産性が低くなる。少なくとも現在では生産性が低いと評価されている。

だが、人が自らの能力や技能を駆使して試行錯誤する作業に価値を見出さない社会は貧しい。結果や成果ばかりを要求するのでは本来人間としての価値がある行為の裾野が広がらず、貧しいままであろう。

私は、成果を要求されるばかりの労働には全く向いていないし、拒否したい。だが人間らしい無駄な努力や悪あがきならたくさんやってきたしこれからもやりたい。これからの世の中がそちらの行為に価値を見出すように、たぶん日本はならないだろうけど。

コミュニティFMの役割

あと3時間ほどで台風14号が最接近する。アメダスのデータで気圧がどんどん下がっている。21時台に瞬間最大風速24.2m/sが観測された。台風の勢力は弱まっていないので接近すればさらに強い暴風が吹くと思う。

そういう状況なので、地元のラジオを聴いているが、レギュラーの番組ばかりで台風の詳細や避難所情報とかがさっぱり流れない。民放で21時からの空にまつわるローカル番組で気象予報士を交えて詳細な情報が流されたのみだった。

コミュニティFM局は防災ラジオの役割も担っている。だがニュースも全国ニュースのみで現在まで台風について詳細が報じられていない。

もちろん、11時時点で市内全域74万人に対してレベル4避難指示を発令しているので、全ての市民は避難所に身を寄せているという前提かもしれない。だが、市のHPに避難所の混雑状況が表示されているが、そもそも全ての避難所を合わせても全市民を収容しきれる容量はないし、表示されている避難人数を合計しても市内全域で2000人ぐらいだ。大半の人は自宅にとどまっている。

自宅にとどまり不安を抱えつつ台風が過ぎ去る夜を過ごしているのが私を含めて実際のところだ。気象庁HPの台風情報で現在地や今後の進路について情報は得られる。だが全ての人が気象庁HPに接続して情報を得られるわけではない。情報弱者を置き去りにして良いわけがない。

まだ停電はしていないが、停電に備えてラジオを準備しているのは私を含め大勢いると思う。地元の情報を得たいと思ってもレギュラー番組ばかり、これから暴風はどうなる見通しなのか、いつ頃ピークを過ぎるのか、交通機関は、身近なところに被害が出ていないのか、必要な情報が、現在進行形で接近中なのに、ない。

防災ラジオの役割を担い、行政からの出資を得て運営しているコミュニティFM局に期待を寄せているが、私の片思いなのだろうか。もしかすると、災害が発生してから本格活動という体制かもしれないが、うーん、それで良いのかなー。もちろん過去の震災のときに大きな役割を果たしたのは評価するけれど、今までにない規模の台風が最接近している現状でレギュラー番組ばかりで良いのだろうか。

夜間に避難所の情報を流しても、辺りが暗い状態での避難は危険だ。そういう事情を分かったうえで夜間に避難所の情報を流さないのかもしれない。ただ、ローカルのニュースで避難所の状況を流すことぐらいはやって良いと思うのだが、それすらない。

コミュニティFM局の情報発信能力がこんなに細くて、良いのか?

 

以上。2022.09.18

台風14号最悪コース

最接近24時間前で中心気圧910hPaというから、観測史上最強の台風だろう。しかも予想進路がこちらを直撃する最悪コースとなっている。

被害は当然ながら出ると思う。脆弱な家屋なら倒壊するだろうし、窓を突き破った暴風が部屋の中から天井を押し上げて屋根を吹っ飛ばしたというケースも過去に多々ある。その他に考えられるのは大規模な停電だ。今回は特に勢力が大きくコースも良くない。過去には24時間程度の停電も経験しているが、今回はそれ以上になる恐れもある。

そんな中で自分ができることといったら、充電できるバッテリーはフル充電にしておくぐらいか。電柱が倒壊すれば停電だけでなく有線ネット接続も落ちる。基地局への電力供給が断たれればスマホも使えない。そう考えればバックアップ体制が整っている既存ラジオ局がやはり心強い。

ちょうど30年前の台風17号では、暴風で屋根瓦が大量に飛ばされそこに大雨が降り雨漏りの被害がひどかった。また街路樹や公園の樹木が根こそぎ倒されたり斜面が崩落したりした。同様な被害が出そうな胸騒ぎがする。

交通機関も商業施設も明日は休業を発表している。3連休なのに家に閉じこもりっきりだなー。

 

以上。2022.09.17

「オーケー・グーグル」

AIスピーカーは3,4年前頃から出回るようになったと思う。だが、私は便利なグッズだとは思わないし、購入することもないだろう。

AIスピーカーは基本的に音声入力であるが、そもそも自室の中で声を出すか? 家族と一緒なら会話はあるだろうが、自室で一人いるときに、はっきり聞こえる音量で独り言を言うか? そんな習慣はよほど変人以外ないだろう。

自室で何か調べたいことがあるとして、スマホを常に携帯しているならまずそれで検索するのが普通だろう。PCがあればキーボードとマウスでの入力が早い。スピーカーなので、「FM○○を聴きたい」と言えばradiko経由で聴けるのだろうが、いやいやそうする前に手元のラジオをONにする。

ニュース記事の読み上げとかスケジュール管理とかスマート家電制御とか機能が列挙されてはいるけれど、読み上げてもらうより画面で文面をざっと見た方が早いし、スケジュールも家電制御もスマホのアプリで済む。Bluetoothスピーカーとして、といっても形状からしてちゃんとステレオの音になるか疑わしいし。

何のために開発されたのかわからない。存在する意義が見えない。

ボケかけた老人の話し相手にも、ならんだろうなー。

 

以上。2022.09.16

子供の頃の庭キャンプ

小学4年生位の頃か、父親がテントを買ってくれたのでさっそくキャンプをしようということになった。だが、遠方に出かける本格的なキャンプをする知識も装備もないので、とりあえず庭にテントを張ることになった。

当時のテントは、今のドーム型とは違って三角タイプで四隅にペグを打ち込んでロープで支える物、強風が吹いてペグが抜ければすぐに倒れてしまう物だ。また少年雑誌では雨水の侵入に備えて周囲に排水溝を掘るように書いてあったが雨の心配はない天気だったのでそれは省略した。慣れない手つきで1時間ぐらいかかって形になった。

入口のファスナーを開けて、テント生地色の光に染まった空間に入ると、あ、何か違う、日常ではない空間がそこにはあった。

庭キャンプなので、食事も風呂も家の中で、あといつものようにTVも視て、寝るときだけテントに入った。寒い時期ではなかったので、薄いマットと毛布位の簡単な寝具だったと思う。背中が痛いとか大した不快感もなかった。懐中電灯を消すと真っ暗、いや隣の家の野外照明にうっすら照らされていて恐怖感はなかった。前の市道を走る車の音が家の中と同じく聞こえていた。

そして一夜明けた。朝明るくなるのがいつもよりずっと早いように感じた。庭キャンプは想像していたよりも大変ではなかった。と思ったが、テントの撤収に設営の3倍ぐらいの労力が必要だった。テントを設営して翌朝撤収して、これを日々繰り返す、、やっぱり無理だ!ということで、庭以外でキャンプをすることは結局なかった。

そして20代の頃には簡単設営のドーム型テントが広く普及した。北海道を旅していて、宿を確保できないときはキャンプをしようと寝袋と一緒に荷物に担いで歩いた。その年の行程ではすんなり宿が取れたのでテントの出番はなかった。ちょうど「とほ宿」が道内各地にたくさんできてきた頃だったので以降宿に困ることはなくなった。

今も部屋の隅に当時のドームテントと寝袋がある。もう20年以上置きっぱなしだけど、テント生地破れずに骨組み折れずに展開できるかな?

 

以上。2022.09.15