うつ病みの日々のあれこれ

うつ病みが日々のあれこれを綴ります

ファーストガンダム原理主義者

TVシリーズ第1作のガンダムしか、私は認めない。最終話、地球連邦とジオン共和国との間で終戦協定が結ばれたことで、ガンダムの世界は完結したものと思っている。続編やスピンオフ作品、その他の後付け設定は、ガンダムの名のついた別作品だと思っている。

いわゆるファーストガンダム原理主義者である。

ジオンの残党商法が気に食わない。ファンが自由に盛り上がるのは良いとしても、それを営利に利用するのは後味の悪い料理を食べさせられるようで嫌なものだ。

サンライズの次の作品、イデオンはその点、潔い。劇場版で、TVシリーズでカットされた最終盤のシーンを描き切って、完結した。キャラクターも作品世界の全てもが因果地平に消え去って、完結した。もはや続編など描きようがない。

アニメーションではなく、宗教の世界では特に「原理主義者」の文言は良い意味で使われることはない。聖典に書かれていることが全てだと解釈するのは、時代が下り様々な方面に拡張していく人間の社会生活において、聖典では把握できない部分が出てきたときに解釈の妨げとなる。

聖典こそ正しい!社会生活の方が間違っている!と断ずるのはたやすいが、聖典は書かれた当時の生活習慣を元に、信者が守るべき行動規範を記したものである。現代の社会生活においては聖典では網羅しきれていない部分が生じていると認める柔軟性が必要だ。

その文脈で見てみると、私のファーストガンダム原理主義は、実経済のジオンの残党商業主義に対して分が悪い。だが、私の内心の自由として、やはり商業主義は受け入れたくない。声高にスピンオフ・後付け設定反対を唱えるつもりはないが、せめて、自分の部屋だけでは、放送終了直後の時期の設定資料を読み耽っていてもとやかく言わないで欲しい。

 

以上。2022.06.11