うつ病みの日々のあれこれ

うつ病みが日々のあれこれを綴ります

国府と県庁所在地

奈良時代から平安時代、全国70余りの律令国の行政・司法・軍事の中心地として国府が置かれた。さらには国分寺国分尼寺も置かれて、宗教的にもその国の中心地となった。役割としては現在における県庁所在地に相当するし、実際に多くの県庁所在地の発祥は律令時代の国府に遡る。奈良や京都を古都と言うが、全国各地に同じぐらいの歴史のある都市が散在していることになる。

律令体制の弛緩と武家勢力の台頭によって国府の地位は下がり、地域の一都市に過ぎないほどになったところもある。しかし江戸期に再び城下町として整備されて復権を果たした都市もまた多い。

ただし、藩の所領が複数国にまたがっている場合は、一つの国府所在地が城下となり、他の国の国府所在地には支藩が置かれるか家老に運営を委ねられる場合が多く、結果として政治的には上下の格差ができた。ただ政治的な上下の差にもかかわらず民衆の経済活動が盛んな都市は、当時の政治中心の江戸と商業中心の大坂になぞらえて「○○の大坂」と称されたりもする。

廃藩置県によって藩から県になると、再び複数の国が一つの県にまとめられる例ができた。明治維新から150年余り経つが、一つの県であっても文化圏が違う例がしばしばある。

鉄道(特に普通列車)で旅していれば、地元の人の話す言葉が旧国境で違っていることに気付く。地元の人同士の会話なのでネイティブな方言だ。若い人は方言をあまり使わないしスマホに没入してしまって会話しないことの方が多い。だが一定の年齢以上の人の口からは日常のありふれた会話がネイティブな方言で聞ける。

県としての歴史は150年余り、それに比べれば律令国の歴史は1000年以上と遠大だ。それぞれの国で蓄えられた文化は21世紀の現在においても生きていることを実感する。

だけれども、私のように列車に揺られながら、地元の人の会話に耳を傾けたり家々の造りの違いを見付けたり、そんなことを楽しんでいる人はどれほどだろう。

20年ほど前に北海道を鉄道とバスだけで巡っていると、宿主さんから「もうすっかり絶滅危惧種なんですよねぇ」と言われたことがある。私も同感だと答えた。その頃すでに旅の手段はレンタカーに移っていた。そして時代は下って現在では各JRも列車の旅を「非日常」ととらえて豪華絢爛な列車に仕立てている。

私はそんな「作られた」旅は御免被る。私にとって、旅は日常の延長であって、地元の人に紛れ込んで地元のベーカリーに立ち寄って地元のデパートの地下食料品売り場でおやつを買って書店で地元出版社の本を立ち読みしてそして本通りから一歩入った静かに佇むカフェで時間を過ごすのが何より楽しい。

律令国はもう古い概念かもしれないけれど、それぞれの国に蓄積された文化の香りを味わっていれば、たしかに今でも文化圏として息づいている。均質と思われがちな日本も地域によって多様性に富んでいる。

地元の人の日常に溶け込んで、なんて旅のスタイル、やっぱり絶滅危惧種なのかなー。寂しいな。。。

 

以上。2022.07.07(え?七夕だったんだ?!)