うつ病みの日々のあれこれ

うつ病みが日々のあれこれを綴ります

お知らせ、と儒教について

毎度ブログをお読みいただきありがとうございます。明日は、夜間も夕食会を兼ねた自由討論で、戻りは最終の新幹線となりそうです。ブログの更新は難しいと予想されます。

以下本題です。

昔、大陸では戦乱に明け暮れた時代、諸子百家という様々な思想家が生まれ、乱世をいかに治めるべきかを諸国の王に説いて回ったという。その中で、現代にまで強い影響を与えているのが孔子儒教だ。

儒教の教えは、一言で言えば戦乱で乱れた秩序を取り戻す教えである。世の中に秩序をもたらすために、上下の身分を厳密に規定し、日常の諸作業のしきたりを厳密に守り、祭礼を大々的に行うことで権威の大きさを誇示し、そうすることで反乱の意欲を未然につぶすというものである。

上下の身分としては、簡単には年長者を敬うこと、家長を敬うことである。東アジアの伝統的価値観は儒教によって規定されたと言って良い。

このような儒教的規範は、近世以前であれば為政者にとってはすこぶる都合が良かった。しかし近代以降は、儒教的規範によって社会が硬直化し個々人の持つ才能がつぶされることにもつながっている。

組織内の上下関係について、仕事の能力よりも仕事以外の付き合いで人脈を広げた方がより上の役職に就けたりする。そして一度就いた役職からはよほどのことがない限り降ろされることがない。そしてそれが半ば伝統となっては優秀な人材ほど意欲を失う。

その他に、企業や行政組織で、日々決済のために時間が無駄に費やされていても、それが慣例だからと改める例は多くない。コロナ禍であっても、決済の印鑑を押すために出社する、という話があちこちに転がっていて笑ったものだ。

課長決済だ、部長決済だ、と上の役職に就くにつれて大きな権限を持つようになって、一度就けばその肩書に自己陶酔感すら覚えるのだろう。たくさんの部下を自分の気持ち一つで動かせる、この大きな案件は自分の決済で実現したんだぞ、どうだこのオフィスで自分はこんなに偉いんだぞ、と優越感に入り浸っているのだろう。

権力はヒエラルキーであって、儒教ワールドではそのピラミッド構造が極めて堅牢である。オフィスの中で威張っていても、上の専務や常務といった肩書の人の中では頭が上がらずイエスマンに徹していなければならない。

今の新しい世代も、そんな組織を望んではいないだろう。だが就職が決まって組織に飛び込んで、身動きのできない息苦しさを感じても、今現状では、一度その組織から飛び出せば生活の保障もできない立場に陥ってしまうことにもなりうる。まず飛び出した先を確保したうえで脱出する必要がある。

だが日常の業務をこなしながら飛び出す先を確保するのは非常にエネルギーを使うものだ。エネルギー節約志向の若者はそんな行動を取れるだろうか。それよりも、嫌々ながらその組織に留まり、本来彼ら彼女らが持つ才能の芽を自らつぶしてしまうことにはならないだろうか。そうだとしたら、暗い時代が世代を超えて繰り返されることになる。

安定した秩序はあっても、活力は失せ、ナメクジが糸を引くように衰退してゆくのか。

儒教的価値観は20世紀にすでに時代遅れとなっていた。だが21世紀になってもいまだ一部に根強い支持者がいる。

大げさに「国葬」とは。儒教権威主義に他ならない。

 

以上.2022.07.22