うつ病みの日々のあれこれ

うつ病みが日々のあれこれを綴ります

順調に血糖値が下がっている

帰り道に代謝内科に通院。今日は血糖値に加えてヘモグロビンA1cの検査もある。1回目の採血では測定装置でエラーが出たので再度採血した。耳たぶに針を刺して採血するのだが、針を刺す痛みは今まで感じたことがない。2度採血したところで不愉快な思いはない。

さて、検査の結果、血糖値は正常範囲に収まり、ヘモグロビンA1cも先生の言う目標値7.0にずいぶん近づいた。体重をあと4kg落とすとだいぶ違いますよとのこと。うーん、毎日少なくとも3000歩、2.0kmは歩いているのだが、何か運動の習慣を身に付けなければならないのだろうか。

疲れる運動はやりたくない。スポーツはやっていて楽しいからするのであって、禁欲的に黙々と続けることは私には合わない。子供の頃はただ友達と走り回るだけでも楽しかった。何が楽しいのかわからないけれど疲れ果てるまで走り回っていた。そういう楽しさ、スポーツ一般にあるかなー。

同じ走るのでも競うのは勝ち負けが付いて劣等感感じるので嫌になったし、球技は飛んでくるボールが怖くて逃げてたし、水泳は耳に水が入る違和感が大嫌いだったし。体育の授業は全然楽しくなかった。

体育の授業で個々の生徒が「楽しい!」と思う瞬間を持てたら良かったのになー。跳び箱を跳んで着地がビシッと決まって「やったー!」と思ったり、鉄棒でぐるんぐるん回転して目が回りそうな浮遊感が病みつきになりそうだったり、そんな楽しさを体感できる授業だったら良かったのに。残念ながら体育の授業は苦行でしかなかった。

身体を動かして、その結果が「楽しい!」と思わせるような授業ではなかったので、私のような運動嫌いが量産されることになった。体育の授業は、そもそもの出発点が「体を鍛える」ことなので、そこに楽しさの要素は入っていない。発想が変わらなければ、体を鍛えられる子と運動嫌いな子の2つに分極してしまう。

高齢化社会がどんどん進展して行って、健康の大切さ運動の大切さが強調されているけれど、子供の頃に運動嫌いになった人が歳を重ねて進んで運動するようになるだろうか。これからの人も長寿になるだろうけれど、子供のうちに体を動かすことを「楽しい!」と思うような授業でなければ、後々の運動習慣は身につかないだろう。

競わせて、そしてカリキュラムをこなさせて、の体育の授業はもはや根底から変えないと、将来の増え続ける医療費負担を軽減することにはならないと思うけど。