うつ病みの日々のあれこれ

うつ病みが日々のあれこれを綴ります

歴史が嫌いだった

中学、高校と、歴史は大の苦手だった。もともと発達障害の傾向があって、人の名前と顔とを憶えることが難しい。加えて、教科書の記載も、初出こそ姓名で記載されるが、それ以降は「信長」とか「秀吉」といった具合に姓を省略する。

私にとって、人名(日本人の人名)を憶えることは、まず苗字を憶えることから始まり、次いで名を憶えるという順序である。苗字を憶えなければ名を憶える段階に進めない。そこを一足飛びに名で記載され教えられては、頭がパニックを起こすだけである。

教科書に、「織田信長」や「豊臣秀吉」と常に姓名セットで記載されていればパニックにならずに済む。それだけで歴史嫌いが救済されるのに、歴史教育は変われないでいる。

天下人ならともかく、多人数の武将が入り乱れる戦国の世、名だけで国内の勢力図を把握することは、私には不可能だった。教科書や補助教材に記載された勢力地図の助けがあって初めて当時の様子を知りえた。勢力地図には苗字での記載があったので助けられたし、地理好きにとっては具体的な地域がわかって把握しやすかった。

歴史好きの人は、往々にして、姓を略し名だけで語る。しかし聞いている側には、私のように名で人物を特定不可能な者もいることをわかって欲しい。歴史教育の入り口でハードルを上げてしまうのはやめて欲しい。

今、「歴史が好きか」と問われれば、「好き」と答える。なぜか。自分を武将ではなく、一般庶民(当時のほとんどは農民)と仮定したとき、ある時代ではどのような生活をしていたか、例えば一日の食事は三食か二食か、主食の米麦の他にどんな野菜類を食べていたのか、それから、農繁期また農閑期の一日の仕事のスケジュールはどうだったか、集落の祭りの式次第はどうだったのか等々、庶民のありふれた生活を知りたくてたまらない。

一揆とか飢饉とかの出来事がいつ起こったのかより、その時庶民がどのように動いていたのか、そちらを知りたい。権力の盛衰より、ごく身近な、例えばお城の石垣運びに駆り出されたご先祖様が、作業の合間にどんな無駄話をしていたのか、そのようなことにばかり関心が向く。

歴史は、英雄物語ではなくて、たくさんの人たちのありふれた日常の積み重ねだと思う。そのような切り口で歴史を学べたら、歴史を大学で専攻していたかもしれないのに。

 

以上。2022.05.26