うつ病みの日々のあれこれ

うつ病みが日々のあれこれを綴ります

根源的な問い

人はなぜ生きていなきゃならないのか。自分が生きていることが良いことなのか。

意識しだしたのは、中2の頃だったと思う。そして今に至るまで答えは見つからないし、これからも見つかりそうにない。

ただ、うつの最悪期から回復してきて、少なくとも、自分が生きていることは良くないことではないと考えるようになった。

生きてきた中で、善人の顔をして他人を平気で貶める者をたくさん見てきた。彼らに比べれば自分は少しはまともな人間だと思えたから。自分が生きていることで周りの人たちを苦しめることはないと思えたから。

問いの前段、「なぜ」なのかは、文明が生まれた頃から常に誰かが思い続けていたことだ。古今東西の哲学者を差し置いて、自分がその答えを出すなど、それは無理な話だ。そもそも地球上の生物の中でそのような思索を巡らすのは人間だけだ。根源的な問いを持ち出すこと自体が人間であることの証明なのかもしれない。

ただ、文明を築く以前の狩猟採集生活時代ではどうだったのか。獲物を狩るために広い面積を確保せねばならず、大人数の集住はできない。おそらくは少数の家族のグループ単位での生活だったろう。安定的な食料の確保も困難で、生きているという状態を保つことが精一杯だったろう。

そして、結果として人間は生き延びて、農業を覚えて蓄えを作ることで先々のことを考えられるようになった。生活が安定して初めて「なぜ」の問いを持つようになったのでは。

もし今後、人間の存在自体が危機に陥り、明日のことも見通せなくなったとしたら、「なぜ」の問いなど持ち出せなくなるだろう。

だが、地球の人口は先日80億人を超えた。この先、存在の危機に陥らないとも限らない。人間が繁栄してきたことははたして良いことだったのだろうか。

 

以上。2022.11.27