うつ病みの日々のあれこれ

うつ病みが日々のあれこれを綴ります

5回目の接種案内が届いた

前回との接種間隔が3か月に短縮されて、早くも5回目の接種案内が届いた。

3回目と4回目に高熱の副反応が続けざまに出たので、もう5回目は勘弁願いたいと思うのだが、巷では第8波が到来したようだ。どうやら第7波と同じか更に上回る規模の感染になるとか。

だが、感染そのものより、社会の閉そく性や排他性が形になって現れてきて気分が悪い。誰かを悪者にしなければ気が済まない質の人が同じ一般市民同士で攻撃し合っている。攻撃するならその矛先は保健衛生行政では? そして現場で動いている担当者ではなく組織を疲弊させた組織構造に問題があるのでは?

全数把握の取りやめとか待機期間の短縮とか、小手先の対応はしても、そもそも症状があろうがなかろうが誰もが無料でPCR検査を受けられる体制にはならなかった。

こんな状態、世界から2周分ぐらい周回遅れになっている。第7波以降の週間新規感染者数は日本がずっと1位キープの状態だ。戦略の誤り発想の誤り、そしてその原因はもっと根本的な所にあるのに身内の体制を護ろうと手を付けようともしない。

国はどれだけの人の健康を害すれば気が済むのか。

 

以上。2022.11.16

週の真ん中に休日

来週11/23は勤労感謝の日で休日だ。だが、週の真ん中の水曜日にぽかんと1日だけの休みとは何とも使い勝手が良くない。

私の仕事内容では、水曜日が休みなら、前日火曜日と翌木曜日の作業内容を止めざるを得ない。何とも効率が悪いなー。

仕事の流れもそうだが、一週間という周期の心身のリズムも乱される。休日ではあるのだが、どこか気忙しくてゆっくりできない。

前か後ろの2日間に気兼ねなく有休を取れれば良いのだけれど、そんな空気でもないし。

はー、休日まで一斉行動とはどこか薄気味悪い。もっと個人の都合で自由に休みが取れないようにしなきゃ。そうでないと創造的な仕事が伸びてゆかないと思うよ。

 

以上。2022.11.15

毛布の感触

最低気温が10℃前後の頃は、朝から毛布の感触が愛おしい。アラームが鳴っても、あと1分で良いから寝かせてくれー、といった感じでなかなか起きられない。

布団そのままとかタオルケットとかにはさほどの執着はないのだが、毛布に包まれている心地良さは格別で、いつまでも長居したくなる。

まるで子供のようだと思うが、肌の感覚は視覚や嗅覚ほどごまかしが効かない。快不快の触覚はかなり純粋な感覚だと思う。肌の感覚の快不快は生まれ出てすぐに感じるもので、毛布に包まれていれば安心して眠るし、おむつが濡れて気持ち悪ければ泣く。

初老となってもいまだに赤ん坊の感覚を引きずっていると思うと、どこか可笑しい気もするが、ごまかしの効かない純粋な感覚はおそらく一生ものではないだろうか。どんな死に方をするかわからないが、願わくば毛布の中で息を引き取りたいものだ。

 

以上。2022.11.14

単3電池3本仕様

車中泊に使う玉ランタンは単3電池3本仕様である。また手持ちのラジオにも同じく単3電池3本仕様のものがある。

アルカリ電池のように10本や12本などの大量パックになったものなら特に気にすることはないのだが、ニッケル水素電池のように基本的に4本パックで販売されているものでは使い回しが厄介だ。

使用履歴が異なるニッケル水素電池を混合して使うと、後で特定の電池に強い負荷がかかり寿命を縮めることになる。なので個別の機器には固定した組み合わせの電池を使うのが望ましい。

それで4本パックのニッケル水素電池から3本を組みにして使う。さて残った1本はどうするか? これが結構な難題だ。妥協案として、4本パックを2セット買い、3本組を2組、2本組を1組、とすれば良いかと思っている。単3電池2本仕様の機器は数多いので使いやすいと思う。

ただ、最近はUSB電源仕様の機器が増えつつある。本体にリチウムイオン電池を搭載し、足りなくなればUSBで給電とする。リチウムイオン電池ニッケル水素電池に比べて約3倍の電力容量を持つ。ただ、本体にリチウムイオン電池を搭載した機器は劣化した電池の交換ができない。電池の経年劣化がすなわち機器全体の寿命となる。そのような半使い捨て機器は敬遠したいものだ。

一方で乾電池仕様の機器は、回路や部品に異常がなければ50年も前の機器がいまだに使える。回路の電源電圧がそのまま電池の電圧となっていたので、USB仕様のリチウムイオン電池電源の機器と違いインバーターによる昇圧・降圧がなく、ノイズが発生しない。特にラジオ類ではこの点が大きなメリットだ。

だけれど、なぜ電源を単3電池3本仕様にしたのか疑問に思うことも多い。採用した回路や半導体の推奨電圧によるのか、あるいは筐体のスペースの都合か? 釈然としないし使いにくいけれど、今後も内部の部品がいかれるまで使ってゆきたいものだ。

 

以上。2022.11.13

朝の缶コーヒー

私の好みはコーヒーよりも紅茶だ。だが、出勤後に缶コーヒーを飲む習慣ができてしまった。

朝食後、血糖値を下げる薬を2種類服用する。職場に着いた頃に薬が効いてきて軽いめまいを感じる。低血糖状態なので糖分の補給が必要だ。そこで自販機の小さなサイズの缶コーヒーを買って飲む。微糖と表記されているがそれでも十分だ。

自販機には、コーヒーの種類はたくさんある。一方で紅茶飲料は種類も少ないし、三口程度で飲みきれる手ごろなサイズの缶がない。というわけで小さなサイズの缶コーヒーを買ってしまう。

よく使う自販機は電子マネーが使える。私が普段使うd払いにも対応しているので利用する頻度が高い。ただ、月に一度ぐらい、回線の問題なのかシステムの問題なのか、d払い決済ができないことがある。やむなく小銭で支払うが、設置されてから何か月も経つのにいまだに一定頻度で決済不能となる。

このような現象が時おり起こるからやはり現金は持ち歩かざるを得ない。

その一方で、政府は給与の支払いを電子マネーでも可能とした。うーん、回線やシステムの不安定要因が依然残っているのにいかがなものかな。小銭を扱うのが面倒なので電子マネーで済ませる、という人が多数派だと思う。給与の支払いのように十万単位のお金のやりとりを電子マネーで、とは私は不安を感じる。

電子マネーではなくポイントカードであるが、以前政府はTポイントの個人情報を利用していることを認めた。電子マネーには少なからず個人情報が紐付けされていて、現金と比べると匿名性が低い。政府が電子マネーから個人情報を利用しようとすれば容易に膨大なデータを吸い上げられる。そのあたりを狙って導入に前のめりになっているのでは?

電子マネーは、便利かと言えば確かに便利だが、何だか裏に悪だくみがありそうな気がして、100%信用して良いものかどこか常に気懸りなのだ。

 

以上。2022.11.12

ポッキー&プリッツの日

今日11月11日はポッキー&プリッツの日ということで、売店にはたくさんの商品が並んでいた。せっかくなので2箱購入すると、レジで「3箱購入すると抽選できますよ」と言われたので、もうひと箱買い足した。そしてくじを引くと、お菓子が当たった。カントリーマァム2つとビスケット菓子1つ入っていた。学生並みにはしゃいでしまった。

くじが当たる幸運とか最近さっぱり縁がなかったなー。

世の中では「運も実力のうち」と言われることがしばしばある。私はその言葉はあまり好きではない。言葉の裏を返せば、幸運の持ち主には実力がある、とも解釈できる。いやいやそんなことはありませんよ。運と実力は全く別個のもので連動などしていない。

そのはずなのに、偶然飛行機の席が隣り合っただけで企業の会長ポストを手にした人もいる。竹中平蔵である。その企業で仕事してもいないのに会長の肩書が手に入るとはどういうことだ。その企業で長年働いてきた専務クラスの役員は一気にやる気を失うだろう。もっとも人材派遣業という業種なのでまともな企業ではなかろうが。

このような運、言い換えれば機会の偏在があっては公正な競争ができず、真に実力を持った者が育つわけがない。実力があろうがなかろうが、自分の機会をより多く持つために様々な人脈を保とうとする。いろんな機会に恵まれてはいるが、暗愚としか言いようのない人たちが政治の世界に山ほどいる。

才能はあってもそれを活かすことができない境遇の人に対して、「運も実力のうち」などと思うほどつけ上がってる連中も多いのではないか。だから不適格な人物が次々と閣僚ポストについて醜態をさらしてしまうのではないか。

ため息しか出ない。

 

以上。2022.11.11

皆既月食って、月はどこ?

一昨日は皆既月食天王星食だった。そろそろ皆既食だと思って、東の空を見たが月が見えない。もう皆既食になって暗い赤色で見つけづらいのだなー、と思ったが、いやいや、中学の頃に月食観察では皆既食でもはっきり見えていた。

はー、視力が落ちたんだなー。あの頃ははっきり見えていた皆既の月が見えなくなるとは。以前と比べると都市化が進んで空が明るくなったせいもあるだろう。だが近視と乱視が年を追うごとに進んでいる。それが一番の原因だ。

東の空を見まわして皆既の月はぼんやりした茶色のシミのように見えた。双眼鏡があるのではっきり見てやろうとしたが、双眼鏡のピントが合わせられない。近視でもピント調整で補正できるものだと思っていたが、補正可能範囲を超えてしまっていたのか。もちろん乱視ではいくら調整しても補正はできない。

運転するとき以外は眼鏡をかけないで生活している。日常では不便を感じないのだが、このような夜空のイベントでは視力の低下が顕著に表れてしまう。

かつては星を見るのが好きだった。流星群の夜は50kmも離れた草原までバイクで出かけた。その当時は常に視力1.2以上を保っていた。

だが晴れた夜空でも星が見えなくなった。特別明るい金星ぐらいはわかるが、シリウスも見付けられるかどうか。

視力が良かった頃は夜空に星が見えることは当たり前だった。だが美しい星々が見えなくなって、それが尊いことだったと感じる。

これからも体の感覚や機能が衰えてゆくだろう。楽しめるうちに楽しんでおこう。そして体に抗わずページを重ねるように年齢を受け入れてゆければ良いかな。

 

以上。2022.11.10