うつ病みの日々のあれこれ

うつ病みが日々のあれこれを綴ります

時差ぼけのような

この3、4日ほど、出勤しても、午前中ほとんど仕事が手に付かない。身体も頭もお昼頃まで眠っているかのよう。体内時計が4時間分ほど時差ぼけしている感じだ。

通勤中そして出勤して居室から実験室まで歩く間、毎日朝の光を浴びている。体内時計のリセットはそこで済ませているはずなのだが、時差のあるままお昼までズルズル引きずってしまう。

昼食を済ませて13:00まで休憩して、それでようやくエンジンがかかる感じ。睡眠導入剤の効果が朝も残っているかもしれないが、服用量は以前と変えていないので、それが原因とは考えにくい。

うつの症状として、朝から何もできない・考えられない、というのがある。経験上、ひどいときには立ち上がることもできなかった。今はそれほどひどいわけではないが、該当するような気がする。

この1か月ほど、予定の入っていない土日はずっと寝て過ごしていた。朝起きてトースト食べて、そしてまた昼まで寝る、という感じで、午前中何らかの活動をすることはなかったしできなかった。

一方、先日受けた職場のストレスチェックは結果良好だったので、仕事がストレスとなっているとは考えにくい。

感じているのは疲労感ではなく、例えるなら、脳につながるエネルギーの回路が途中で断線したかのような感覚だ。

暑い季節になって、夜も寝苦しく睡眠が浅くなってしまい、朝起きても睡眠が足りていない状態かもしれない。

時差ぼけ感の他に、月曜から金曜までの5日間、気力も体力も持続できない感じである。木曜金曜の午前中はあたかもエネルギー欠乏状態で立っているかのようだ。

体感的に最近ストレスになっているのは夏の暑さだ。うつが悪化する要因として挙げるなら、やはり第一に暑さだろう。特に暑さにまだ順化していない今の時期はストレスとして感じるのだろう。

季節要因、と片付けるのは簡単なのだが、うーん、それだけではないような、もっと根深いものがありそうな気がしてもどかしい。

 

以上。2022.06.17

るきさんの時代と今

高野文子先生が'80年代末から'90年代初めにかけて「Hanako」に連載していた「るきさん」。

るきさん 高野文子

バブル絶頂期から崩壊し始めたころの世相が見えるので興味深い。

主人公るきさんと友達のえっちゃんはおそらく20代後半の女性、「Hanako」の購読層に相当する。えっちゃんはその頃らしく流行に敏感で消費意欲旺盛、「Hanako」購読層に近い。一方のるきさんは、流行には疎く倹約家でいたってマイペース、購読層とは正反対の存在だ。

るきさんは、在宅で医療事務の仕事をしている。1週間で一月分の仕事を済ませて、あとは図書館に通ったり趣味の切手収集をしたり自由に暮らしている。えっちゃんは規模の大きくない会社で事務職をしている。

その当時は、医療事務の在宅ワークで(倹約しているが)当たり前の生活ができていた。今ではるきさんと同じように働いても暮らせるだけの収入は得られないだろう。

またえっちゃんにしても、規模の大きくない企業で、「働いているふり」をしていて、毎月の収入をすべて好きなものを買うのに使ってしまう。今であれば、「働いているふり」の従業員なら真っ先に首を切られてしまうだろうし、そうでなくても好きなことに消費できるほどの収入を得るのは難しく、あるいは先行き不安で消費どころではないだろう。

その頃は、楽に働いてたくさんの収入が得られた時代だった。将来に不安を感じなくても生きられる時代だった。

単行本の終りの方で、ボーナスが減った、不景気なのよね、とえっちゃんが漏らすシーンがある。ちょうどバブルが崩壊した時期、華やかだった時代の終わりだ。

新装版巻末に、番外編として10年後の2人の様子が描かれてある。消費好きだったえっちゃんもすっかり、、、詳細は単行本を読んでほしい。

この30年の間に、当たり前の暮らしを望んでもできなくなってしまった。生きるていることが報われない時代になってしまった。

この30年間でこの国の悪しきところが次々と顕在化したはずだ。だが、私が悲観的にならざるを得ないのは、それら悪しきところを正すどころか見て見ぬふりを貫いている人たちがたくさん居座っているからだ。

 

以上。2022.06.16

未遂

未遂だったから、今こうやって書けている。

10年ちょっと前、一番うつがひどくて、4週間おきの通院の他はほとんど寝たきりの状態の頃のこと。3週間分くらい残っていた薬(抗うつ剤抗不安剤睡眠導入剤)を一度に全部飲んだ。

36時間ぐらい眠った(昏睡した)。だけれど、目が覚めてしまった。命を終わらせる事さえできないのかと、更に絶望した。昏睡の間、三途の川とか花園とか、そんな臨死体験など全くなかった。脳の活動が停止したまま、いつの間にか目が覚めてしまった。今の薬は大量に飲んでも命の危険性はないのだと認識した。

その後しばらくして、それまで通院していた先生は高齢のため引退し、転院することになった。そこで新しいタイプの抗うつ剤を試して、状態がだいぶ改善した。1年余りで、少しずつ仕事ができるようになった。

薬を服用しながら仕事する状態がしばらく続き、4年ほど前に抗うつ剤を服用しなくても大丈夫になった。しかし、新しい上司からのパワハラのため、うつの症状が出始めた。結局抗うつ剤から卒業できた期間は半年もなかった。上司は全く意に介さない状態で、職場を追われる形で退職した。私の後任も次々と辞めて行ったと漏れ聞こえる。

そして何とか大学の技術補佐員の職を見つけて働いている。実働7時間だが、時給制のパートで2年更新という身分。境遇は哀れだけど、研究室は良い雰囲気で気持ちが楽だ。

この仕事を続けられたら、もう一度抗うつ剤を卒業できそうだけれど、どうだろうか。

 

以上。2022.06.15

涙ながらに収穫したトマト

例えば、野菜を買う場合、店先で「○×産トマト」等と表示されていることが多い。だが、産地はわかっても、どの農家さんが作っているものか、その農家さんではどのような人が働いているのか、そこまではわからない。

最近の、少し規模の大きな農家さんは、家族経営では人手が足りず、安価な労働力として外国人技能実習生を使っていることが多い。外国人技能実習制度は、日本で技術を学んで自国の技術向上に役立てる、という建前だったが、安価な労働力を使いたい経済界の要望で建前とは全く乖離した制度となった。

実習生への暴力や、失踪、労働災害、自殺など悪弊ばかりが目立つ制度であり、海外からは奴隷制と見なされている。国としては制度を見直す気がないどころか、逆に適用業種を拡大する方向に進んだ。

私は、外国人技能実習生が涙ながらに収穫したトマトなど食べたくない。

トマトに限らない。製造業でも、下請け孫請けの生産現場では、元請けからの無理なコストダウン圧力のせいで外国人技能実習生を最低賃金(あるいは違法に低い賃金)で使わざるを得ないケースが多いという。他にも土建業、清掃業、介護福祉業などで多い。

これらの業種、つながりが強いのが今の与党だ。例えば自動車業界は各社とも膨大な額の政治献金を毎年行っている。それに土建業も農業も、地方では必ず今の与党に行き着く。

コスト削減!経費削減!と繰り返し職場では言われているが、末端職場が1円単位で節約する経費に比べれば、経営上層が接待を経費で落とす額の方が桁がいくつも大きいではないか。

失われた30年は、本社が「新しい価値」を開発できなかったせいだ。この間、モノにしろサービスにしろ、国内で生まれて世界に広まった物があるだろうか。本社が馬鹿の一つ覚えで「安く!安く!」と言い続けたせいで、結果として「新しい価値」を創造することに失敗したではないか。昇進機会提供の場と化した本社に、もはや存在意義はあるのか。

もう安いだけの物はいらない。さまざまな情報を集めよう。その上で、商品やサービスが労働収奪の産物でないものだけを選ぼう。

 

以上。2022.06.14

梅雨前半の雨

梅雨前半の雨は、比較的静かに降るので、同じ梅雨でもまだ心地良さがある。気温も低めで不快指数が高くない。この時期の紫陽花は良いものだ。

雨降り紫陽花

さて、話は全く変わるが、6月から徴収分の住民税の通知が来た。前年の臨時収入のために現在の収入水準より相当高く算定されていた税額から、本来の収入分の徴収になって、給与からの控除額が減るので助かる。

経済的に一息つけるということで、一旦は却下したポメラDM200を購入することにした。金額がちょっと大きくて暴挙とも言えなくはないが、瞬時に電源ON/OFFできる単機能ツールらしい魅力にひかれた。

それで、実際手にしてみて、意外としっかりした造りだと思った。Let's noteのようなマグネシウム合金外皮ではないので堅牢性はなさそうだが、そのあたりは使用時に気を付けると良いと思う。サイズは横幅がシグマリオンIIより15mmほど広い。奥行きはほぼ同じ、畳んだ時の高さはシグマリオンIIの約半分だった。

シグマリオンII(左)とポメラDM200(右)

並べてみると、シグマリオンIIとポメラDM200はサイズが近いこともあり、どこか兄弟機のような印象すらある。

キーボードはピッチにゆとりがある。キーストロークは浅いが打鍵の感触が非常に良い。少ししか扱ってないのでATOKの変換精度を評価できる段階ではないが、第一印象は良好だ。ただ、普段PCで入力している癖で、修正箇所へ移動するのについマウスを探してしまう。それだけPC入力者には違和感がないということだろうか。

経済的にさほど余裕がない中で、せっかく手に入れたのだから、入力ツールとしてこれから活用していこうと思う。

 

以上。2022.06.13

自分の街ではなくなる印象

数年間仕事で静岡県に居た以外は、地元で暮らしている。いわゆるジモティーだ。だが最近、地元の街なのにどこか自分の手から離れていくような寂しさがある。

20代30代の頃は、市民団体が主催する街づくりのシンポジウムやワークショップに積極的に参加して発言してきた。そのいくつかが行政の関心を引いたこともある。その頃は自分の街は自分で創るという実感があった。

その後、うつを発症した影響もあって、シンポジウムなどには参加しなくなったが、それよりもそれらシンポジウムの開催も低調になった感がある。一方で、ここ10年ほどは、新幹線の開通や政令指定都市への移行などが契機となり、大規模な再開発が相次いできた。

ここで思うのは、街創りが市民の手からデベロッパーの手へと移ってしまったのではないかということだ。デベロッパーによる再開発、それは本当に素晴らしく私の目には眩しいほどだった。よくぞここまでの施設を造ってくれたものだと感嘆した。だが、私には眩しすぎて触れるのに躊躇するほどの気持ちになってしまった。

以前であれば、地元資本の(癖の強い)商店が街を彩っていた。そこに出入りすると自分の年上の身内のような店主が居て、商売以外の無駄話にも気さくに応えてくれる印象で、たくさんの街の商店すべてがどこか身内のように身近だった。

最近は、おそらく全国的な傾向だと思うが、個性的な地元資本の商店に代わって、全国チェーンが大挙して押し寄せてきた。再開発施設の多くにも「九州初出店!」を謳う店がオープンした。全国チェーンあるいは世界的なチェーン店も、洗練されて悪くはないのだが、地元民の手あかが付いたような親しみを持ちにくい。

相次ぐ再開発も商圏人口の多さに注目した結果だと思う。それは経済の論理からはしかるべき帰結だと思う。ただ、チェーン店が大挙して押し寄せるのは、経済力が地元から本社に吸い取られることにもつながるし、また経済事情次第で出店・撤退が相次ぐと街の一体感が損なわれてしまう。

少々危惧する点もあるが、ここ10年ほどで感じた変化は、街が成長して、地元での自給自足の経済から、外部で大きく展開する経済の一部になったということで、何らかの相転移が起きたということだろうか。それだけ大きな街になったと歓迎すべきことかもしれない。

だが、私には、大事に育てた子供が大人になって自分の手から離れてゆくような、少しの寂しさがあるのだ。

 

以上。2022.06.12

ファーストガンダム原理主義者

TVシリーズ第1作のガンダムしか、私は認めない。最終話、地球連邦とジオン共和国との間で終戦協定が結ばれたことで、ガンダムの世界は完結したものと思っている。続編やスピンオフ作品、その他の後付け設定は、ガンダムの名のついた別作品だと思っている。

いわゆるファーストガンダム原理主義者である。

ジオンの残党商法が気に食わない。ファンが自由に盛り上がるのは良いとしても、それを営利に利用するのは後味の悪い料理を食べさせられるようで嫌なものだ。

サンライズの次の作品、イデオンはその点、潔い。劇場版で、TVシリーズでカットされた最終盤のシーンを描き切って、完結した。キャラクターも作品世界の全てもが因果地平に消え去って、完結した。もはや続編など描きようがない。

アニメーションではなく、宗教の世界では特に「原理主義者」の文言は良い意味で使われることはない。聖典に書かれていることが全てだと解釈するのは、時代が下り様々な方面に拡張していく人間の社会生活において、聖典では把握できない部分が出てきたときに解釈の妨げとなる。

聖典こそ正しい!社会生活の方が間違っている!と断ずるのはたやすいが、聖典は書かれた当時の生活習慣を元に、信者が守るべき行動規範を記したものである。現代の社会生活においては聖典では網羅しきれていない部分が生じていると認める柔軟性が必要だ。

その文脈で見てみると、私のファーストガンダム原理主義は、実経済のジオンの残党商業主義に対して分が悪い。だが、私の内心の自由として、やはり商業主義は受け入れたくない。声高にスピンオフ・後付け設定反対を唱えるつもりはないが、せめて、自分の部屋だけでは、放送終了直後の時期の設定資料を読み耽っていてもとやかく言わないで欲しい。

 

以上。2022.06.11